新緑が本当に美しい季節です。なにもなかった枝に綺麗な若葉が出始める。「新しく芽を出す」「どの様に芽を出そうか?」「どうすればそれはできる?」 「そうだ、こんなことをすることが芽を出すことか!」「これをやってみよう!」と思いを膨らませます。枯れた枝の中にも、明日の新録を目指して準備している生命があります。 これまで、わが社の開発に人真似はありません。セントラルビルを建築した1971年は、まだ2階建木造住宅しかない四ツ橋筋に9階建てのオフィスビルを建築しました。四ツ橋の社長は気が狂った、と言われました。 ノイメゾン堀江を創ったとき、世の中にはワンルームという概念はなく、ましてフロントスタッフが常駐するマンションはありませんでした。全国からノイメゾン堀江には多数の見学者が来館。サービスアパートメントという言葉はこの5年くらいにできた言葉です。 小野原を開発した際は、まだ学生専用マンションなどという言葉はなく、小野原は田圃だらけ。壱番館ができたときは、近隣から驚きの声が上がり、マンションの周りが明るすぎて夜寝られないので困ると言われたほど。阪大生協にはマイルーム課も存在すら知りませんでした。 CORの開発も同様です。北堀江は材木屋さんを中心とした倉庫ばかりの街でした。当時、代官山を見学に行き、こんな街を堀江に創りたいと思い、様々な検討を実施し、低層2階のCORが出来上がりました。石橋から小野原に線を創る発想、街の変化を感じ取り、オフィスビルを医療ビルにコンバージョン、耐震工事では、日本の最高峰、リファイニングという概念をもつ建築事務所を関西で第1号の工事採用。 街の中のマンションに古民家を作ってみようとした都会の杜。人真似ではなく、自分のわかる分野を自分で一生懸命に知恵を絞り、考えて新しいことに取り組んできたと自負しています。儲けだけではなく、まず面白いもの、街に落書きをしない、街の価値を上げるもの、これをテーマに取り組んで来ました。 ホームページを制作するにあたり、こうした株式会社四ツ橋のDNAを発信してゆきたい。私たちはメーカーです。 自分たちの商品を作ります。それに共感する仲間と集いたい。 株式会社四ツ橋は新しい局面にあり、企業として新しい課題に取り組みます。 |
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