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苦言と常楽我浄

2019年9月27日

                                     

 朝礼の安岡正篤先生の言葉の輪読で「苦言は人のため」との項目がありました。(9月12日)「言葉でも、本当のためになる言葉は多く苦言であります。」皆さんも良薬は口に苦し、とよく親に言われたのではありませんか?そこで苦言について、違った解釈を皆さんにお伝えしたいと思います。

 常楽我浄(じょうらくがじょう)という言葉が延命十句観音経にあります。たいへん深い言葉ですが、端折って説明します。

 『徳には4つ、常徳、楽徳、我徳、浄徳があります。私たちの住む世界は苦であるけれども、正しい道に対して忍辱をもってすれば、この苦の世界が楽の世界になる。たとえ人が自分に不利益なことをしても、自分を悩ますようなことをしても、それをじっと忍耐して心にかけない。その苦であり逆境である出来事を、善意に解し、善意に用いて行いさえすれば、その逆境が自分を励ます向上進歩につながり、その苦しみは必ず楽しみになります。本当に底の知れない大きな力を得よう、本当にしっかりした自信を持とうとするには、窮屈な思いをしようとも、辛い目に遭おうとも、これを堪え忍んで、この苦しみを征服してゆかなければならない。苦しい経験、辛い経験を経た人間でなければ世の中に出て立派な仕事をすることは出来ない。』

 わたしも先輩経営者から「福本君、理不尽や悔しいことを言われ続けて10年もたてば人間が練れてくるよ」と励まされたことを良く覚えております。

 先日、取引先支店長と社員教育について話しておりました。「若手の成長を願っているが一筋縄には行かない。これからの時代、仕事の多くはAI(人工知能)に取って代わられる。ヒューマンな経営指導の出来ない、決算書を作成するだけの会計事務所は潰れるように、人の成長には、AIには出来ない「ひととしての感性教育」が重要。感性を磨いてゆくには最低10年かかる。若手の成長をゆっくりと見守りたい」と支店長は言われました。たいへん同感した次第です。

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